現在も続く世界の紛争【後編】〜世界で起こる紛争・戦争・内戦をわかりやすく解説!〜 | Sekaika!![セカイカ!] | 国際情勢の基礎から最新ニュースまで、わかりやすく解説!
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現在も続く世界の紛争【後編】〜世界で起こる紛争・戦争・内戦をわかりやすく解説!〜

  • 世界全体
  • 前回の記事では、現在世界で起こっている紛争の中で、

    • 朝鮮戦争
    • フィリピン戦争
    • ミャンマー紛争
    • 東トルキスタン紛争
    • カシミール紛争
    • ワジリスタン紛争
    • アフガニスタン紛争
    • イエメン内戦
    • ソマリア内戦
    • トルコ・クルド紛争

    の10個を取り上げて見てきました。

    幸せなことに、私たちの住む日本は1945年の敗戦以来、約70年間もの間、戦争とは無縁の国で居続けることができています。 ・・・
    sekaika.org

     

    ということで、後編となる今回は、

    • シリア内戦
    • パレスチナ紛争
    • キプロス紛争
    • ウクライナ内戦
    • 神の抵抗軍の反乱
    • 南スーダン内戦
    • ダルフール紛争
    • マリ北部紛争
    • 西サハラ紛争
    • コロンビア内戦

    の10個の紛争を見ていきましょう!

    それでは早速、レッツビギン!

     

     

     

    11:シリア内戦

    紛争名 シリア内戦
    開始年月 2011年3月
    場所 シリア全土
    交戦勢力 シリア政府 vs 反体制派 vs イスラム教過激派
    原因 反体制派とイスラム教過激派による反乱

     

    現在で最も世界の注目を集めている紛争といえば、このシリア内戦でしょう。

    http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/map/Syria/Map_of_Syria_and_neighboring_countries.htm

    このシリア内戦、元々は「アサド政権」の「独裁や汚職」に不満を持つ民衆たちが2011年の初めの方に起こした「反政府デモ」が始まりです。

    しかし、それ以降アメリカを初めとする西洋諸国や、サウジアラビアを初めアラブ諸国は、反体制派に支援を始めたと思いきや、一方のアサド政権の方には、元々シリアと友好的な関係だったロシアやイランがつきます。

    このように「アサド政権軍」と「反体制軍」が、それぞれ他国の支援を受けることにより、戦火は拡大し、ついにはシリア全土を巻き込む内戦へと発展していきました。

     

    加えて、その大混乱に乗じて勢力を伸ばしたのが、隣国イラクで誕生したイスラム過激派・ISです。

    ISの進出により「アサド政権軍 vs 反体制派 vs ISなどの過激派」の三つ巴の戦いは泥沼化に陥りました。

     

    2016年現2月には政府と反体制派の間では停戦合意がなされましたが、それに加わっていないIS関連含め、現在も各地で戦闘が続いております。

     

     

    12:パレスチナ紛争

    紛争名 パレスチナ紛争
    開始年月 1948年
    場所 イスラエル(パレスチナ)
    交戦勢力 イスラエル政府 vs パレスチナ政府
    原因 パレスチナの独立運動

    パレスチナ紛争は簡単にいうと「ユダヤ人のイスラエルと、アラブ人のパレスチナ政府による土地の取り合い」です。

    出典:http://news.bbc.co.uk/2/shared/spl/hi/middle_east/03/v3_israel_palestinians/maps/html/default.stm

    3000年くらい前には、この土地にはユダヤ人が「エルサレム王国」という国を持っていましたが、崩壊とともにユダヤ人はこの地を追われ、世界各国に散りばめられます。

    それ以降は、長らくアラブ人が主にこの地に住んでいました。

     

    しかし、時が経ち1900年頃から、イギリスの支援もありユダヤ人たちはかつての故郷、パレスチナの地へと帰ってきます。

    ユダヤ人は教育にすげー力を入れているので、めっちゃ賢いのです。その上、金融業などで儲けまくった人なんかもいますので、お金持ちがたくさんいました。

    そんなユダヤ人がパレスチナの地に増えてきたことで、アラブ人が肩身が狭くなっていきます。

     

    そんな中、1948年には「ユダヤ人国家」としてのイスラエルが建国されます。

    ただ、アラブ人はこの建国には大反対!ここから「ユダヤ人 vs アラブ人」の戦いが、本格的に戦争へと発展していきます。

     

    アラブ人は1988年に「パレスチナ」としてイスラエルからの独立宣言をし(日本は認めていない)、1993年には「オスロ合意」にてイスラエルはパレスチナ政府の自治を承認するものの、現在でもこの土地を巡る「ユダヤ人 vs アラブ人」の対立は続いています。

     

     

    13:キプロス紛争

    紛争名 キプロス紛争
    開始年月 1964年
    場所 キプロス
    交戦勢力 トルコ vs ギリシャ
    原因 トルコ人の独立運動

     

    地中海に浮かぶ小国、キプロスは約80%のギリシャ系民族と、約20%のトルコ系民族で構成されています。

    このキプロス、WW1(第一次世界大戦)まではオスマン帝国、WW1以降はイギリスによって統治されていましたが、1960年に独立します。

    以降は「大統領はギリシャ人、副大統領はトルコ人」のように、両民族がなるべく平等に扱われることが憲法などで決まっておりました。

     

    しかし、建国直後から「トルコ人って、ギリシャ人より圧倒的に少ないねんから、平等っておかしくない?」ということで、トルコ人の権利が小さくなります。

    それに怒ったトルコ人は1964年に本格的な独立運動を開始、内戦へと発展します。

     

    1974年には、停戦合意し、翌1975年にはトルコ人国家「北キプロス・トルコ共和国」が独立宣言をします。しかし、この独立はトルコ以外の国は認めていません。

     

    現在は、目立った戦闘はあまりありませんが、未だ対立が続いている状態です。

     

     

    14:ウクライナ内戦

    紛争名 ウクライナ内戦
    開始年月 2014年
    場所 ウクライナ東部
    交戦勢力 ウクライナ政府 vs 親ロシア派
    原因 親ロシア派の独立運動

    ウクライナは長年、ソ連の一部でした。(1919-1991)

    しかし、1991年のソ連崩壊と合わせて、ウクライナは独立し、ロシアとは距離を置き始め、逆にEU諸国と親密になっていきます。

    http://www.lahistoriaconmapas.com/atlas/country-map14/ukraine-map-in-europe.htm

    しかし、2010年に親ロシア派のヤヌコーヴィチさんが大統領になると、これまでの親EU政策を一転、親ロシアに傾きます。

    すると「反ロシア派」による反政府運動が勃発、結局ヤヌコーヴィチさんも逃げ出し、再度「反ロシア政権」が樹立します。

     

    これに焦ったロシアは、ウクライナの中でも親ロシア派の住民が多いクリミア半島に軍事介入し、クリミア半島をウクライナから独立させ、ロシアの一部とします。(クリミア併合・2014)

    出典:http://www.interpretermag.com/russia-accuses-ukraine-of-attempting-terrorist-attack-in-crimea-as-tensions-mount/

    ただし、ウクライナはもちろん日本や他の国も、ロシアによるクリミア併合を認めていなく、「クリミアはウクライナのもの」と認識しています。

     

    さらに、ロシアと接するウクライナ東部の「ドネツク州」や「ルガンスク州」でも親ロシア派は盛んに独立運動を行っており、戦闘もしばしば発生しています。

    出典:https://thepage.jp/detail/20140514-00000014-wordleaf?pattern=2&utm_expid=90592221-74.JM2YzTs8RsmKQyoGkL1rlg.2&utm_referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.co.jp%2F

     

     

    15:神の抵抗軍の反乱

    紛争名 神の抵抗軍の反乱
    開始年月 1987年
    場所 ウガンダ北部
    交戦勢力 ウガンダ政府 vs 神の抵抗軍
    原因 神の抵抗軍の独立運動

    ウガンダでは、1987年から「キリスト教原理主義」や「民族主義」を掲げる「神の抵抗軍」によっての反体制運動が盛んに行われています。

    出典:https://shottun777.wordpress.com/2015/02/01/%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%80%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD/

    この神の抵抗軍、なかなか残虐な奴らとして有名で、子供を拉致し少年兵や性的奴隷にしたり、儀式として手足は唇・鼻などを切り落とすなど、スーパー非人道的な行為で世界中からウルトラバッシングを浴びています。

     

    世界中の多くの国、団体を敵に回しているので勢力自体は弱まりつつありますが、まだまだ壊滅はしていないようです。

     

     

    16:南スーダン内戦

    紛争名 南スーダン内戦
    開始年月 2013年
    場所 南スーダン
    交戦勢力 大統領派 vs 副大統領派
    原因 副大統領のクーデター

     

    南スーダンは、2011年にスーダンより独立した、世界で最も新しい国のひとつです。

    独立してからも、スーダンvs 南スーダンの国境を巡る紛争が起こってはいますが、それより大変な問題が、この「南スーダンでの内輪揉め」です。

    簡単に言うと、南スーダンの大統領と副大統領がケンカしています。

    下の写真の左がマチャル副大統領、真ん中がキール大統領です。

    見た目、怖すぎです。

    これにより、国内の治安は非常に不安定になり、それを解決するために、国連はPKOを派遣し、日本の自衛隊もそれに参加しています。

     

    日本でも、そのPKOの参加の是非を巡って非常に大きな論争を生んでいます!

    自衛隊の南スーダンのPKO参加のことは、セイジー!のこちらの記事で解説しております!

    最近、自衛隊関連のニュースが非常に増えていますね。 特に「南スーダンの自衛隊派遣」についてのニュースが多い!「南スーダ・・・
    saygee.org

     

     

     

    17:ダルフール紛争

    紛争名 ダルフール紛争
    開始年月 2003年
    場所 スーダン西部
    交戦勢力 アラブ系住民 vs アフリカ系住民
    原因 アラブ系住民による弾圧

    スーダンは、昔から複数の民族が、複数の宗教を信仰する複雑な国家だったので、なにかと揉め事が絶えない国でした。

    しかし、宗教の方は2013年に南スーダンが独立することにより、ざっくり言えば「イスラム教のスーダン」と「キリスト教の南スーダン」に分かれ、まあある程度解決しました。

    http://www.voanews.com/a/sudan-threatens-to-close-borders-with-south-sudan-again/3241864.html

    しかし、民族の方はそうは行きません。

    スーダンは大きく分けて「アラブ系民族」と「アフリカ系民族」で構成されており、両者が入り混じるスーダン西部の「ダルフール地方」では、両者間の対立が絶えませんでした。

     

    そこで、民間のアラブ人で結成された「ジャンジャウィード」という組織が、スーダン政府の支援を受け、ダルフール地方のアフリカ系民族の弾圧を始めます。

    これにより、アラブ系民族vsアフリカ系民族による戦闘が始まりました。これがダルフール紛争です。

     

    以降、アメリカ・ロシア・中国などの大国や国連もこの問題に介入していきますが、現在も問題は解決していません。

     

     

    18:マリ北部紛争

    紛争名 マリ北部紛争
    開始年月 2012年
    場所 マリ北部
    交戦勢力 マリ政府 vs トゥアレグ族 vs イスラム過激派
    原因 トゥアレグ族による独立運動+過激派の台頭

     

    アフリカ西部にあるマリは1960年にフランスから独立したものの、北部に住むトゥアレグ民族は、マリからの独立を目指し、再三独立運動を繰り返してきました。

     

    2012年1月には、トゥアレグ族の武装組織・アザワド解放民族運動が、アンサール・アッディーンなどのイスラム過激派と手を組み、マリ北部(アザワド)で反乱を起こします。

    で、2012年4月にはアザワド解放民族運動とアンサール・アッディーンが政府軍を差し置いてアザワドを占領しますが、次はアザワド解放民族運動と、アンサール・アッディーンの間で、アザワドの支配権を巡っての争いが始まります。

    結果、アンサール・アッディーンがアザワド解放民族運動を抑え、現在は「マリ北部を占領するイスラム過激派 vs マリ政府」という内戦になっています。

     

     

    19:西サハラ紛争

    紛争名 西サハラ紛争
    開始年月 1976年
    場所 西サハラ
    交戦勢力 モロッコ vs ポリサリオ戦線
    原因 ポリサリオ戦線の独立運動

     

    西サハラ地域は、1970年にスペインが領有権を放棄すると「モロッコとモーリタニアという国で分割しよーぜ!」となりました。

    しかし、独立を試みる住民たちが1973年にポリサリオ戦線を結成すると、ここから「モロッコ・モーリタニア vs ポリサリオ戦線」の紛争が始まります。

    ポリサリオ戦線との紛争が大きくなると、モーリタニアは1979年に領有権を放棄しますが、モロッコは手を引きませんでした。

    これにより「モロッコ vs ポリサリオ戦線」という構図になります。

     

    その後、1988年にはモロッコが「独立は住民投票で決めよう」というアフリカ連合の提案を受け入れ、1991年には両者が停戦合意をします。

    そこで、この紛争も解決するかと思われましたが、この地域には遊牧民が多く「誰が投票権を持っているのか」という点がはっきりしませんでした。

    この理由で、投票は今現在も行われていなく、停戦中ではありますが両者に睨み合いは今現在も続いています。

     

     

    20:コロンビア内戦

    紛争名 コロンビア内戦
    開始年月 1964年
    場所 コロンビア
    交戦勢力 コロンビア政府 vs 革命軍
    原因 革命軍による反乱

     

    コロンビアでは、1850年ごろからずーっと「自由党」と「保守党」による二大政党政治が続いており、その元での市民の暮らしは非常に厳しいものでした。

    ざっくり言うと「エリートたちが、国の利益を牛耳っていた」という感じですね!

    そんな中、1959年にキューバ革命が起きると、その余波でコロンビアでも1964年に「コロンビア革命軍」という社会主義勢力が結成されました。

    コロンビア革命軍は、苦しい生活を強いられている市民や農民を味方につけ、政府に反乱を起こします。これが内戦化し、以降50年以上も続く「コロンビア内戦」となるのです。

    政府と革命軍は何度か和平交渉をしますが、いずれも失敗に終わり、内戦は一向に解決の兆しが見えませんでしたが、2016年8月には、ついに両者が和平に合意をします。

    しかし、翌9月に行われた「今回の和平合意を認めるか」という国民投票では、僅差で「認めない」が上回り、和平合意もポシャったかと思われました。

    でも、その後なんやかんやで「やっぱ国民投票じゃなくて、国会で決めよーぜ!」となり、2016年12月には、国会にて今回の和平合意が承認され、晴れて内戦は終結しました。

     

    現在、コロンビアでは50年以上続いた内戦が終わり、新しい国づくりに動いている真っ最中です!

     


    以上で、前半から見てきました「今、世界で起こっている20の紛争」の解説、終了です!

     

    これらの紛争は、もちろんほんの数百文字で表せられるものではありません。

    なので、各紛争の詳しいことは、今後別記事でもっと解説していこうと思います!

     

    それではまた別記事でお会いしましょう!チャオ!